第五話 私の家族の物語

私には、息子と娘の二人の子どもがいます。

保健所で働いていた時に出産し、保育所にあずけそのまま働くお母さんになりました。

29歳で結婚し、結婚したらすぐ子どもに恵まれる、と勝手に思っていました。
でも、現実は、流産を繰り返し、なかなか母親になれませんでした。

初めての妊娠のとき、安定期に入る寸前で、お腹の赤ちゃんの発育がとまってしまっていたのにそのことに気が付かず、突然出血。

受診すると、すでに心拍は確認できず、私のお腹の中で、赤ちゃんは生きていなかったんです。

このとき、夜間だったため、いったん自宅に帰ることとなったものの、家に帰るとすぐに規則的な陣痛がおこりました。

助産師の資格を持つ私はトイレで自分で内診をし、子宮口が開いてきたことがわかったので、自分で赤ちゃんを出産する覚悟をしました。

介助者は「夫」

何の出産の知識もない夫の力をかりて、 命をつなげなかった赤ちゃんを産むことは、切なく悲しいことでしたが、これも最後の赤ちゃんの力だと信じ、陣痛をのりこえ、朝方になってやっと生まれたのでした。

なぜ死んでしまったのか・・・。
赤ちゃんに影響のあることをしてしまったのだろうか・・・。

夫に壮絶な体験をさせてしまったこと。

もう子どもはいらないと言われないだろうか・・・。

血まみれの床とトイレの壁を掃除する夫の背中を見て、頭の中をいろいろな思いが浮かびました。

今は2人の子どもに恵まれ、その時の辛さは日常にまぎれてしまっています。

クリスマスのサンタへお手紙でお願いするほど妹を欲しがっていた娘がある日

「なんでお姉ちゃんたちは死んじゃったの?」
と聞いてきました。

 
私は
「その話は悲しくなるからしないでほしいな」
と言ってしまいました。

 
そんな私に娘は、
「赤ちゃんはね、お母さんとお父さんを選んでお腹にくるんだよ。
ママは私やお兄ちゃんとお姉ちゃん達5人にも選んでもらえたんだよ。
すごいママだよ。悲しくないよ。」

と言ってくれました。

 
それまでの私は
「お姉ちゃん達は死んでしまったんだよ」
と子どもに伝えただけ。

 
でも、確かに生まれて来れなかったその子たちは、確かに私を選んでやってきてくれ、私のお腹の中で精一杯生き、数ヶ月、私と一緒に過ごしたのだと考えるべきでした。

 
娘の言うとおり、期間は短くても私は母親で、その間、本当に幸せな時間を過ごせていたのでした。

 
それに気が付かせてくれた娘に感謝。
子どものおかげで、私は1つ悲しみを克服できたのです。

 
妊娠した時から、今まで体験したことのない体中の変化がおこり始めます。

だんだん大きくなるお腹に、新しい命の誕生への期待と不安、初めてのこと、新しいことの連続です。

 
私は上の子の妊娠後半に、エイリアンみたいな怪獣が、お腹から出てくる夢を何度も見ました。

 
「出産は、私自身がとりあげもしてるから大丈夫!」
と頭では思っていたはずなのに、心のどこかで出産という未知への不安で、エイリアンを産む夢を見たのではないかと思ってます。

 
私の出産は、2人とも夫に立ち会ってもらい、2人目は夫がへその緒を切りました。
お腹から外の世界に出て、自分のだけの力で生きていく第一歩を夫が支えたのです。

 
上の子は、当時住んでいた帯広で、勝毎花火大会の日の夜に突然の破水。
そのあとは、私の苦しみとは裏腹に、のんびり屋の赤ちゃんは出てこないマイペースさ。

 
陣痛から3日目、付き添いの夫が睡眠不足と疲労で意識がもうろうとする中、やっと生まれたのでした。
 
下の子は、8か月で陣痛がきて、入院していましたがお産がどんどん進んでしまい、小児科の医師とも相談の上で、早産の覚悟で点滴を止めました。

ところが、子宮口が8cmから開かず、「遷延陣痛(せんえんじんつう)」で医師、助産師に気の毒がられながら、一度退院することとなりました。

5〜10分ごとにおこる陣痛の合間に、家事や上の子の世話をこなすことに。

結局、予定日近くまで、1か月半もの陣痛と戦い続け、人工的に破水をおこしてから、17分のスピード出産でした。

何ともあわてん坊でお騒がせな赤ちゃんでした。

ひとつの命が生まれることは、その重みの分だけ大変であったけれど、その時の感動と愛おしさや切なさは、何とも表現しがたく、生んだ瞬間の赤ちゃんのあたたかさが忘れられません。

 
私は、上の子を出産した瞬間に、分娩台の上で「また産みたい」と思い、そして、赤ちゃんをさずかり、
こんなにもすごいことをやりとげた私はこの先、人生で何があっても乗りこえていける、なんてことも考えたりしました。

 
女性は赤ちゃんを産むと「お母さん」と呼ばれます。

子どもを産んだこと、それだけで「母親」であることを要求され、「母親の役割」が付加されます。

その母親の役割に「こうありたい」自分を重ね、母親たちはみんな頑張りすぎるほど、頑張ってしまう。

 
だからこうやって、世の中のお母さんたちも子どものために頑張るんだろうなあ・・・と思います。

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