第三話 どさんこ保健師の誇り

北海道に帰ってきた私は、地域づくりや母子保健対策などの、地域の活動をしてみたい
保健師のスキルも、助産師のスキルも活かしたい
という思いでいました。

 
そして、徳島の学校の先生方の後押しもあり、北海道庁の保健所に保健師として就職したんです。

新人保健師となった私は、退院して在宅で療養生活をおくる方とその家族
疲労が重なり体調が悪く一人孤独に子育てに苦しんでいるお母さん
学生時代に突然統合失調症を発病した方
断酒したいアルコール依存症のお母さんなどなど

家庭訪問に飛び回りました。

 
また、北海道内での転勤もあり、その転勤した先々で、たくさんの方々のところへ行きました。

統合失調症の女性のところに家庭訪問をしていたとき、私が1人目をはじめて流産した後の家庭訪問で、その方が、私のお腹をなでながら、こう言ったんです。

「赤ちゃんが、もういないなんて残念だなあ。なみうちさんの赤ちゃん、だっこしてみたかったなあ」と。

私は、こんなにやさしい人たちのためにもっともっと頑張らなければならないと心から思いました。

 
訪問で聞く1つ1つの言葉に後押しされ、一人一人の健康課題を地域づくりにのせていくという保健師の活動にのめりこみ、今までやってきたように思います。

こころの相談では子どものリストカット、いじめ、不登校子どもの自殺、虐待などの対応もありました。
看護師の時とはまた別な形で「死」との向き合う日々。

 
自分が地域で見出した地域の弱さや対応すべき問題を保健所内で仲間と語らい、地域の保健師さんと語らい、地域づくりの施策化にもっていくという保健師の活動。

町村の保健師さんと取り組む母子保健対策
こころの健康づくり・自殺対策
在宅医療、見取り、看護連携
などなど、いろいろなことが満載でした。

 
保健師の活動は幅広く、一つ一つが奥深い。

そのため、沢山の知識と専門的な判断が、逐一求められました。

その時々に、起こっていること、地域のできごと、住民の声、SOS、叫びにアンテナを張り巡らせ、次々と必要となる対策を奏でていく。

保健師の仕事は裏方で地味だけれども、半端な気持ちではできない本当に素晴らしい仕事でした。

 
北海道の保健師は転勤があるので、3~4年で引っ越し。
私は道内5か所の保健所を経験しました。
ちゃっかり各地域の良い所もしっかり満喫したりして笑

20年間、北海道の保健師として、沢山の方に出会い、生きることに関わる、さまざまな経験ができたことは、私の中の誇りです。

 
道職員となって、北海道のために働く日々を送る中で、「いつか助産院を開業したい」という夢が、私の中で少しずつ形になっていったのです。

 
ここまで私を育ててくださった保健師の先輩。
その背中を追い頑張っている同僚、後輩たち。
私を送り出してくださった方々。
私を信頼してくれた地域の皆さん。

その方々に心から感謝し、この助産院が、そして私自身が、地域の資源となるように、
そして、この地域だけではなく、広く多くの方々とふれあい、認めてもらえるように、頑張っていきたいのです。

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